今回は少し社会派で、前の週末に行われたイタリアの国民投票について。
そこそこ報道されたからご存じかとは思うけれど、一応、流れから説明しよう。
1986年4月に発生したチェルノブイリ原発事故を受けて、全世界的に反原発の気運が高まった。イタリアも例外ではなく、翌87年11月に原子力政策についての国民投票を行なった。ここ脱原発が選択され、着々と脱原発へと進んできた……。が、2000年代に入って電力不足が顕在化する。そして国内で出来ない分、外国の原発に資金を提供するという方法を選んだ。
産業界からも原発再開の声が高まり、ベルルスコーニ政権は方向を転換、フランスと協定を結び、イタリア国内に原発を建設することを約束した。
この約束を果たすためにベルルスコーニ政権が制定した国内で原発を建設するための法律を制定した。
国民投票で決まった政策を政府が勝手に転換するのはおかしいと最高裁に野党などが訴えて認められ、この法律を廃止するのか否かを問う国民投票が実施されることになった。
それが決まったのが今年の1月。
つまり日本の福島第一原発事故よりも前の話。
日本の地震とは関係ない。
孫正義氏はこうつぶやいていた。
しかし説明したようにこの国民投票は「福島の事故を受けて」行われたのではない。(私は後半の国民投票は同意する)
逆にベルルスコーニ政権は福島第一原発事故を受けて、この国民投票を「なし」にしようとした。もちろん負けが目に見えているから。そこで原発建設についての議論を無期限で凍結すると宣言し、国民投票も行わないと発表した。
しかし「無期限」とは文字どおり期限を設けないということで、ほとぼりが冷めたらやりましょうということ。
で、また最高裁に訴えられた。
最高裁が下した結論は、「やれ」と。
というわけで1月に決まった通り行われたのが今回の国民投票。
結果はなかなか劇的だった。

投票率:54.79%
賛成:94.05%
反対:5.95%
だそうだ。
「賛成(Si)」というのは原発建設のための法律を廃止することに「賛成」、つまり脱原発票というわけ。
脱原発票が94.05%とは、やはり劇的じゃないか。
……ただ、少し考えるべきことがある。
それがこのエントリの本題。
投票率による成立要件のこと。
この国民投票には、「投票率が有権者の50%以上の場合に限り成立」という要件がついていた。
つまり、投票率が50%未満であれば、この国民投票は不成立⇒法律はこのまま残る ということになる。
となると、(これは曖昧で申し訳ないが)同じ案件での国民投票は数年間行えないというのが常識で、恐らくイタリアもそうだろうから、実質的に原発推進派の勝利となるわけだ。
で、どういうことになったかというと。
政府が率先してボイコット運動を行なったのだ。
ベルルスコーニ政権は過去数週間、これら国民投票をボイコットするよう国民に訴えていた。
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これで「反対:5.95%」の数字の意味がわかるだろう。
つまり、明確に「反対」の人は、必ずしも投票には行かなかった。
負けそうだから試合をぶちこわして不戦勝しようとしたわけだ。
だから「脱原発が圧倒的多数」というのは、少しだけためらいを感じる。
とはいえ、総有権者の54.79%のうち94.05%なのだから、

となり、総有権者の過半数(約52%)が脱原発票を投じたのだから、それなりに大袈裟な表現は許されるだろう。
「文句なし」の脱原発派の勝利だ。
で。
さっき本題だと言ったが、ここからが本当の本題。(^O^)
このイタリアの事例のように、現状を変える(A)か変えないか(B)という問いがあったとする。
今回は総有権者の過半数がどちらかを支持したから何も問題はないが、普通はそうはいかない。
選挙でも何でも必ず無関心層や「どちらでもいい」という人はおり、投票率はだいたい40~70%あたりくらいか。その中の(つまり投票総数の過半数あるいは一番多い得票を得た選択肢が勝つことになる。総有権者の過半数の得票を得ることはむしろ少ないだろう。
そこでちょっと考えてみる。ある案件について、
現状を変える(A)が有権者総数の4割、
現状を変えない(B)が3割、
どちらでもいい人が3割
いるとする。
この場合、普通に考えればより支持の高いAが国民意志となるべきだ。
本来であれば、7割の人が投票所に行き、A:B=4:3となりAの勝利となるはず。
しかしここでBの意見の人によるボイコット運動が起こったとする。
Aの人は投票所に行き、Bの人は投票所に行かなかったら、投票総数におけるAの得票率は100%。しかし投票率は40%になる。
もしこの国民投票に、今回のイタリアのような「最低投票率50%」という成立要件がついていたらどうなるか。
この国民投票は不成立となり、現状は変わらない。つまり現状を変えない(B)が実質的な勝利を得ることになる。
実際は
現状を変える(A)が有権者総数の4割、
現状を変えない(B)が3割、
どちらでもいい人が3割
であるにもかかわらず。
これは民主的な手続きとしては許されるべきではない。「民主主義」というのは「ちゃんと手続きを踏む」ということだから。
なので今回のイタリアの国民投票は、どちらの結論が出たとしても、国民の意思がちゃんとした手続きで示されたという意味で、他国のことながら喜ばしいし、政府が推し進めようとする大きな政策を国民自身が変えることができることをうらやましく思う。
ただ、残念に思うとすれば、もしこのボイコット運動が功を奏して国民投票が不成立になったらきっとこのことは大きく報道されていただろうし、そうなれば国民投票(や住民投票)に投票率による成立要件をつけることがどれだけ危険なルールなのかを考えるきっかけにもなっただろうに、というところ。
繰り返すが、もちろん「国民の意思がちゃんとした手続きで示された」という意味で他国のことながら喜ばしく、これを残念に思うと言うのは申し訳ないのだけれど、その部分はどうしてもある。
というのも……。
このイタリアのニュースに大きく関心を持っている日本人は多いだろう。その中にはさまざまな信条を持った人がいるはず。
もちろん9条護憲派もまた大きな関心を持っていると思う。全体の中での比率はわからないけれど、9条護憲派の中で、脱原発派が占める割合は非常に高いという感触を持っている(あくまでも感触に過ぎないけれど)。
もし今回のイタリアの国民投票がボイコット運動の末に不成立になったとすれば、彼らはどう反応しただろうか。ほぼ確実に、「おかしい」と思うはずなんだ。
実際おかしいわけだし。
しかし彼ら(とひとくくりにしては申し訳ないが、少なくとも声の大きい一部)は4年前、国民投票法の成立過程で、この法律は最低投票率が設定されていないから欠陥法であると、声を大きくして主張していたのだ。ほんの少し前のことだから、「憲法改正国民投票法 最低投票率」でググればいくらでもそんな意見は見つかるはず。
そう主張していた彼らが、もし、もしこのイタリア国民投票が不成立だった場合、そしてそのためにイタリアが脱原発を果たせなかった場合、どう言っていたのか。それを是非見たかったというのが、意地悪だけれど正直なところ。
ボイコット運動を主導した政府はずるい、民主的手続きを蔑ろにして許せない!あたりにことは言っちゃうんじゃないかと思ったり。
民主主義的手続きというのは自らの主張にとって有利か不利かで選ばれるべきものではない。もしも相手の方が正しかった場合はやっぱり相手が勝つように設定すべきなのだ(だからこそ相手も勝負に乗ってくれるわけだし、それはもちろん自分が正しければ自分が勝てるということだ)。
将棋盤をひっくり返したら不戦勝だ、だからオレは負けない!なんて勝負は、どこかの独裁国家か子供の話だろうよ。そんなにビビらなくても、もし9条護持が正しいなら勝てるよ。「国民はバカだからすぐ洗脳される」と思うのなら、バカの国民より少数派である自分たちが割を食うのは当然だし、だいたい、バカで洗脳されやすいと思うのならこっちから洗脳してやればいいじゃないか。
バカだろうが何だろうが、この国の国民である限りはこの国の行く末を決める権利を持っている。そう決めたのが民主主義だし民族自決権だ。
自らの主張のために、自分たちとは違う主張を持つ国民が持つ権利を奪うことにどうしてそこまで無頓着なのかと思う。(「バカに権利はない」というのも、もちろん1つの主張だけどね)
本当に国民に利することなのであれば自信を持って、むしろフェアな戦いを望むべきだ。なぜその自信が持てないのか。不思議で仕方がない。
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本日のBGM:
Kiss Of Fire /EZO
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