例のニセ科学フォーラム2009の懇親会で、マイミクであるguichengさん(こういう時にしか会うことがない(^^; )との話で出てきたこと。
guichengさんの知り合いだったかで、コイントスを100%当てる能力のある人物がいたそうだ。
ある時、試しにコイントスの瞬間が見えないように(つまり背中を向けて)してやってみると、当てることができなくなった(100%的中できなくなった、という意味)という。
どうもその人物は動体視力が無茶苦茶よく、しかしそれを本人は気づいていないで目に残った残像を自分の想像力からでてきたイメージだと思っていたのだという。
で、それをうけての私の話。
私は中学校か高校の途中くらいまで、顔をじっと見るだけで友人の誕生日を当てることができた。少なくとも月日を。この「能力」は大学の頃にはもうなくなっていたのだけども、我ながら不思議に思っていた。
その話をすると......、
「ひょっとしたらそれも、何かの時に名簿を見て、それが頭に残ってたんじゃないですか? 昔は名簿には何でも書いてありましたし......」
「確かに名簿には誕生日も書いてたよー。えー......でも......うーん、でも、まあ、あり得るのかな?」
「超能力よりはあり得るんじゃないですか?」
「うーん、確かになあ......」
てな話になった。(^O^)
でね......まあ真相はわからないとしてもだ。
もしこういう結論だったとして(超能力ではなく単に「物覚えがいい」だけ)、こういうのを「夢がない」だとか言い出す人がいそうな気がする。
この話は単なる例だけども、こういう一見「不思議」な現象があったとして、それに合理的な説明がなされると、そういう「夢がない」的な話がどこからか出てくる。
でもなあ。
私としてはそういう「合理的な説明」の方がよっぽど夢があると思うんだよねえ。
だって、「人間って凄い」って話でしょこれ。(^O^)
無理矢理つなげるつもりもないんだけど、『水からの伝言』も、あれはまったく夢がない。あれは人間性の否定だよ。
「いい言葉の波動に共振して人の心がよくなる」(水伝)よりも、「人の言葉の奥にある心を理解し感動する能力を人が持っている」と考える方が、よっぽど夢があると思うんだよね。それがたとえ一見「悪い」と思える言葉であっても、そこに潜むやさしさを見つけ、それに気付くことが出来るのが人間だと。「いい言葉」か「悪い言葉」かで体の水が機械的に反応すると考えるより、よっぽどいい話だ。
あるいはクラシックならいい波動でハードロックなら悪い波動(水伝)......なんて馬鹿な話より、クラシックの中にも素晴らしいものもそうでないものもあり、ハードロックにも名作もあればカスもあって、それを感じることのできる感性を人間が持っている、ということの方がよっぽど楽しい。
水伝はそういう人間の心的活動の可能性を放棄するわけで、こっちの方がよっぽど人間性を否定しているのだけども、表面的なきれいさ(結晶写真のきれいさ/話の単純さ)に惑わされた人にはそれがわからない。というか、自分がそういうことを否定していることすら気づかない。
で、「科学者は人間的じゃない」とか言ったりして。(^O^)(^O^)
どっちが夢がないんだよそれ。
突然食いたくなったものリスト:
- 豚のテリヤキ弁当
本日のBGM:
Prelude To Oblivion /VIPER

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